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2005-07-30

嵐 Part4

 はい、なんだかシリーズが続いておりますけれども、今回は台風のお話し。地震に引き続き7月26日(火)には、台風7号が、なんと直径千キロという巨大な強風域を伴って、日本列島を直撃しましたね。その中心部分は見事に千葉県は房総半島の東側部分を、下から切り上がって行くという、文字どおりの『嵐』となったのであります。
 はっちゃんはこの台風を、やっぱり『自分のこと』として感じたんですね。感じなければどんな大きな出来事でもあんまりコメントはしないのですが、今回も自分のカルマに関係があることとして、はっちゃんの意識と霊体、そして肉体そのものに直撃いたしました。  昨年の10月に来た台風22号でしたか、あのときもその前に頻発していた地震とともに、『自分のこと』として感じていましたが、だんだんその感覚が強くなってきているように感じます。昨年は『浄化の調べ』や『平家の涙』、そして『神々の降臨』の3つの記事を書きまして、そのころ探求していた千葉氏を中心とする坂東平氏のカルマが浄化されていったのだとうことを、強く感じていました。今回は前回も書きましたが、『日本武尊(ヤマトタケルノミコト)』ですね、どうしてもこの方の存在を強く感じてしまいます。しかしこの方を『自分のこと』として感じるのには、意識にとても強い抵抗感があるんですね。将門公のこともそうなんですが、「まさか!」という感覚が強くあるのです。この「まさか」を感じるときは、逆に「そうなんだ」ということなのかもしれません。経験則でそう感じるので、また語ってみましょうか、日本武尊・・・。  あの~、日本武尊までいくと、カルマ探求も個人の問題を超えてくると感じます。この時代に活躍された方々や、あるいは素戔嗚尊さまの時代の方々、こういう御存在は、日本人の『集合無意識』に深く関わっているという感じがするんですね。ユング心理学で言うところの『原型』ですか、日本人の深層心理という領域に、神代の時代の人々や神話が、深く根付いているように感じます。なぜならカルマ探求や自己探求で、この日本武尊と素戔嗚尊に出会う人が、とても多いからなんですね。  今勉強させていただいている祈ららでも、そもそもひかり先生のお師匠さん(前田博先生)がこの日本武尊や素戔嗚尊のカルマ探求をなさっていて、ひかり先生や会員さんの多くもどうやら関係者としてのカルマ探求をなさってきたということなのですが、私自身もそれを知って、入会当初から意識しておりました。  それで気付いたのですが、私の父が神輿(みこし)部長をしていた産土(うぶすな)神社と思われる神社が、東京都文京区の根津神社なんです。この神社はそもそも、日本武尊が東夷征伐の際、素戔嗚尊に戦勝祈願をした場所というのが起源になっているんですね。そういうことでこのお二方に、生まれる前からご縁があるのかなぁという感覚がありました。  その後『黄金の法』という映画が公開されまして、ギリシャのヘルメス神と日本武尊を比べてみたり、仕事の配送ルートが変わって、日本武尊と弟橘姫の伝説が地名の由来として残る木更津や袖ケ浦を通ってみたり、父が死んだ時に前田先生の希少な本2冊が蔵書の中から発見されたり、ある人と出会ってみたら、海神の子と言われる玉依姫の怒りを直接感じて、「なんで俺が怒られなきゃいけないんだ」という疑問から、日本武尊のカルマを感じてみたり、まぁ事あるごとに日本武尊は私の深層心理を突っついているんですね。そして今回、祈らら会員さんの掲示板カキコから、またしても突っつかれることになったわけであります。  その会員さんは、どうやら弟橘姫に嫉妬を感じる『妻』の感覚と感情を、ご自分の内に感じるみたいですね。5人いたそうなので、そのうちのひとりということは言えるでしょうか。それに日本武尊が伊吹山に行って、またしても神の怒りを買い、その後亡くなっていることにとても深い感情があるようです。このような思いに反応してコメントしていましたら、私自身の中でこの『妻』なる方に対する感情というのが蘇ってまいりました。「今までそんなに苦しかったんだ」と感じて、一緒に泣いて「ごめんね」という感覚です。これは将門公として桔梗さんに出会ったときに似ていますね。あのときも最初は桔梗がひどく怒っていて、それから表面意識が抵抗しているにもかかわらず、将門として様々なことを内観したり供養したりすることになっていったのでありますが、今回もそういうことなのでしょうか。すでに将門公のステージから次に移っているのでしょうか・・。  こんな感じで表面意識は混乱しているのですがね、お構いなしにミステリーツアーを続けてみましょうか。  総論で言いますと、武将にしろ神様にしろ、外側にいる対象として拝んだり崇敬したりしている分には穏やかなのですが、これが『内側』にいて自分の行動様式を規定している存在だということになると、話しはまったく違ったものになってくるんですね。その武将とか神様が背負っているトラウマやカルマが、あたかも『今』起こっていることのように、感情的なところで感じてしまったりするのです。しかもそのカルマが現実を創造して、命がけで解決しなければならないような課題として、目前に迫っているということが、ままあるわけなのであります。だから表面意識は「そんなことがあるわけがない!」と否定しようとするのですが、『現実』というものがそれでできている以上、「逃げるわけにはゆかない」というのが、はっちゃんの経験則。それで祈らら会員の方々は、神社に通ったり、仏壇で供養したりするんですね。カルマというものが、そういう時代性を伴っているので、そういう縁地に行ったりする必要があるということなのです。それが一番効率がいいらしい・・。  で、日本武尊の場合なのですが、将門公を背負っていると『首なし症候群』という病気の行動様式をもっているのと同じように、『ヤマトタケルシンドローム』という病気があるのです。これ結構悲しいんですね。古事記では、ヤマトタケルが兄を素手で殺したのを父の景行天皇に疎まれて、無理に九州の熊襲征伐や、山陰の出雲タケル征伐をさせられます。それらに智慧を絞って勝ったのですが、帰ってきてすぐに東夷征伐に行けと命じられます。ここでタケルは伯母さんの倭姫に泣きついて、「父は我に死ねと言っているのでしょうか。」と相談すると、後に草薙の剣と呼ばれる剣と火打ち石を渡されて、活躍することになります。が、帰り道に亡くなって白鳥になります。  こういう方を内側に背負っているとどうなるかといいますと、「死ぬまで許されない」という自己観があるということが、推察されるんですね。本来は王として能力を発揮して、いい国を作りたいという望みを持っているのも関わらず、『父』という一番大切な存在に疎まれてその能力を十分に発揮できず、愛する人たちの悲しみを尻目に先立ってしまうというシナリオですね。こんなシナリオが潜在意識の底に自己観として根付いていて、現実を創造しているとしたら、悲しすぎるじゃありませんか。  これね、今回ははっちゃんだけの問題として言うのではありませんよ。日本人全体の問題として提起しているのです。このヤマトタケルシンドロームに規定されて、本来の御魂の輝きを現実面まで発揮できなくて去っていった人がどれほどいるでしょうか。それと同時に女性関係者として『愛する人を失う』とかいう感じの現実に直面している人は、どれほどいるのでしょうか・・。そういう方々が多いという証拠にテレビドラマになったりするくらいですから。『百一回目のプロポーズ』というドラマでしたけれども、武田鉄也さんの「ぼくは死にましぇ~ん!」というセリフは、ヤマトタケルシンドロームが潜在意識の中で自動運転している列車を、必死に進路変更している姿には見えないでしょうか。祈ららに入会してから考えたのですが、私には日本人の潜在意識全体の進路変更をしているように感じるのです。  そんなわけでありましてね、日本武尊を内側に感じるということは、男性においても女性においても、その自己観の修正をした方がいいということですね。そうしないと悲しい現実を作り続けることになってしまうのではないでしょうか。そのためにはね、「もしもヤマトタケルが王になっていたら」というシナリオをイメージして、自己観の中に植え付ける必要があると思います。それと関係者の供養ですね。熊襲、出雲、東夷、女性・・。  「王になったヤマトタケル」のイメージとして、幸福の科学の映画『黄金の法』に出てくるヘルメス神は、とてもいい材料になるのではないでしょうか。(ただし組織宗教に関わる必要は無いと思われます)。ここで掲示板にカキコした、新しいヤマトタケル像を提起して、今回は終わることにいたしましょう。自己観貧乏をぶっ壊せ! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それで思い出したのですが、一昨年に映画『黄金の法』というのが公開されまして、ギリシャの英雄神『ヘルメス』の物語アニメだったのですが、そのヘルメスが『海竜』と戦うシーンが出てくるのです。大荒れに荒れた海で、ゴジラよりでかい海竜と戦う際、ヘルメス(アフロディーテの旦那さん)が、金の矢をマストの上から放って海竜を仕留めるのですが、実はその海竜、ほんの子供でありまして、後のシーンに画面に目しか映らない『親玉』が出てくるのです。その親玉が怒るのかというとそうではなくて、「我等は神に仕えるもの」と言って、ヘルメスがいんちき宗教家と対決するのを助けるのです。 「まことの神は我にあり!」 決着を付けて去ってゆく後姿がメチャクチャかっこいいんですよ~。 その後ギリシャで『貨幣』というものを発明して、貿易によって大発展させていくのでありました。 私はね、この『ヘルメス』に『ヤマトタケルの次』を見たような気がしたんですよ。もしもタケルが本当の神性を発揮することができたのであるならば、こうなっていたに違いないと・・。しかし彼は、王になることを許されなかった・・・。 こんなんいかがでしょう・・・。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <あとがき>(やはり掲示板からです) 「死ぬまで許されない」という自己観を、今はっちゃんが感じているのだとしたら、それははっちゃん自身が持っていて現実を作っているのであって、他の誰のせいでもありませんよね。タケル自身はあの時代それが現実だったのだとしても、はっちゃんがそう感じていることは、何の状況にも対応しているわけではない、一種の妄想なのであります。同じことが『女性たち』にも言えるわけでありまして、その時代に感じた『自己観』を現代に持ち越して現実を作っているということは、はたから見たらよくわかったいりするわけです。それを自分で浮かび上がらせて「そうなんだ」と納得するには、霊的にも肉体的にもすごい体力が要ることなのではないかと感じます。はっちゃんが必要だと感じる霊能力はそういう『体力』のことのような気がいたします。って言いますか、そういう体力作りばかりを、人生が要求してきます。はっちゃんは対応しているだけ・・・。 どんどん浮かび上がらせて手放していったら『空』になるのでしょうか。それが般若心経の目指すところか・・・。 かんじーざいぼーさつ ぎょーしんはんにゃー・・・
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こんばんは。おからです。
日本武尊様とどう関係があるか不明です。
なぜなら感覚としては「日本武尊?ふーん、そうなの」としかないので。
でも、無関係という事はないはず。無関係ならあの地震の日に
玉依かあさまに呼ばれたりしない。
それにしても「死ぬまで許されない」とはあんまりな。
それでも、そういう場合は本当に死んだら許してくれるのと逆に聞きたくなるのです。
「死ぬまで許さない」と思っている相手を死んだら許せるのかというと
答えは違う事が多そうなので。
シンドロームとさよならしたら、次に行くのね…。

うーん、どうもそのようですね。シンドロームをシンドロームとして確認できたら、自動的に次の扉が開くというのか、認識できた時点でそれとは距離ができているということなんですね。これを経験するためにはっちゃんは最近、体力だとか内観だとか、しきりに言っているわけです。
おからちゃんの場合はそうですね、竜宮界的に関わりがあるものの、直接ではないですかね。将門公の方がずうっと親近感がある感じでしょうか。やっぱ出雲となかよしとか…。
今度九州で出雲系の神社やタケル系に出会ったら、感想をお聞かせください。

そうですねぇ…
実は将門公の場合も「あれ?」でした。どう関係あるのかなと思っていて、家に帰ってから神田明神のパンフレットを見たら、ご祭神に大国主命様がいたので、ご縁はたぶんこちらがより強いと思います。
十日恵比寿神社でも涙ぐんだのですが、そのときに感じたのは「ようやく来てくれたのか…」という感じで相手が私に許しを請うという感じでした。「これもどうしてなの?」ですが。ここは恵比寿様と大国主命様がご祭神です。
今のところ相性が悪い神社は見つかっていませんが、出雲系は大丈夫と思っています。
日本武尊系はどうでしょう。探してみます。

はじめてこちらにおじゃまします~。       はっちゃん、色々なコメントありがとうございます。私の方は一応の感情の通過はできたような感じで(よい意味でかは不明)変な勝利感的なものがあるんです。弟橘姫に対する嫉妬ととられても仕方のない感情の出方でしたから~仕方のない事なんですけれどね。私の深層部分ではそれだけではないような感じなんです。まだ、そのへんの部分がぼんやりしていて言葉で表す事が難しいのですが、祈りの世界が深くなり、魂が澄んでくることができたらはっきりとした形で表現できるかもしれないです。 今また数日前から、女性の魂の開放と言う言葉が頭の中をめぐるようになりました。歴史の中の女性の存在、立場的なものを少し見つめながらこれからはどのように守るべきものをまもり、変化していく必要があるならばそれはどこなのか~を考えていきたいし、祈りの中でヒントを頂ければと思ってます。
あら~今なんでしょうね。雑念かな?地面と空には位置があるし天地は逆転しないし、人もそうだし、そうでなければあるべきところにおさまらないよ~って、沸いてきました。

おお、主人公の君ではないですかぁ、ようこそです~。
勝利感ですかぁ。私の方は逆に妙な敗北感がありますぅ。悪い気はしないのですが。
弟橘姫に対しては複雑なんだと思います。レベル4的に供養が必要な対象でしょうか。まだそこまでいっていないのでしたら、あとでもいいと思います。いずれ祭ってある神社とかに行かれますかね。千葉にあったりしますけど…。
それから熱田神宮には行かなければなりませんかね。みやす姫に対してはいかがなものでしょう。御本人様なのでしょうか。
他の縁地をほとんど知らないので、探して行かれるようでしたら、またご報告をお願いいたします。位置ですか…、まゆりんさんが、わりと大和朝廷があった場所の近くにいらっしゃるのは、絶妙な位置のような気もいたします。大和&飛鳥担当なんじゃないでしょうか。おまけに吉野…。うーん、ディープだぁ。。

奈良は抱きしめたいほど魅かれる地です。地面にひれ伏して離れたくない感じなんですが~何かあると思います。わかってきてますよ。薄皮をはぐ感じで。大和&飛鳥ですか~しびれてきました。

そうですか・・。あきらかに『担当者』の感覚ですかね。
はっちゃんは下総が『自分の国』に感じてしょうがないんです。
はっちゃんはカルマ解消で行かなければならないところが本当はたくさんあるんです。でも短い人生では全部まわるということは不可能でしょう。でもそのために縁生の方々が、さまざまな場所に『配置』されているのだと感じます(手前味噌ですが)。まゆりんさんや、おからちゃんは、その筆頭。もとこさんもそうみたいですね。
これからたくさん出てこられると思います。ほとんどみんな『縁生』ですから・・・。
プロフィール

シュバン

Author:シュバン
ミクシィで『ひふみ神示』コミュの管理人をしています。人間に見えるけど、猫です。

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