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2005-08-25

弟橘姫シンドローム2

 私の造語であります『自己観貧乏』という言葉を、もう一度おさらいしてみましょう。  過去や過去世において体験した強烈な恐怖・悲しみ・怒り等、ネガティブな情緒に基いて形成された、「私はこういう扱いを受ける人間だ。」あるいは「私はこういう事をしていなければならない存在だ。」という『自己観』ですね、これが現在生きている人の人生において、潜在意識の自己イメージとして働き、『望まない現実』を創っている状態を、『自己観貧乏』と言っているのです。
 これを弟橘姫を背負っている方の場合に当てはめてみますと、強烈な体験として『入水した時点』に自己観が留まっている可能性が考えられます。わかりやすく書いてみますと、 「私は愛する人のために、自己犠牲をして入水した状態でいなければならない存在だ。」 という自己観が、その人の人生を規定していると推察できるのです。  このような自己観が潜在意識の中で現実創造をしていますと、『入水した状態』という状況が現出してしまいます。これは大変なことですね。肉体というのは現在では陸上で生活するようにできていますので、『水の中』で生きるのが困難なのですが、『意識』が水の中にある状態ですと、えら呼吸ができるわけではないですから、まず『呼吸が苦しい』という症状で病的に顕れてしまっているかもしれません。それから酸素不足で脳細胞が働かなくなって、記憶や計算機能、言語機能等に障害的な症状が出ることも予想できます。さらには体を動かすこと自体に困難を生じ、無理に動かそうとすると不自然に動かしてし過ぎてしまうという状態になっていることも、考えられるのです。  これでは日常生活がうまくできませんね・・・。  さらには性格的なところで弟橘姫のキャラクターを踏襲していると考えますと、『我を忘れる』くらいの恍惚観と、『死んでしまいたい』という絶望感が交互に現れる、とても躁鬱病的な不安定な情緒の状態であるとも考えられます。  そしてもう一つ言及しておかなければならないと思うことは、霊的に『カルマ』を調べてみますと、自分のカルマでもない『誰か』がしたことに対して、責任を取る形で『幽閉』、あるいは『人質』状態になっているという可能性も考えられるのです。  いかがでありましょう、これが私の考える『弟橘姫シンドローム』の症状なのです。  たいへんかわいそうな状態だとは言えないでしょうか・・。  日常生活がうまくいかない状態で、幽閉・人質状態を強いられている・・。  イメージしただけで、とても不幸感覚の強い状態だということが、おわかりいただけるのではないかと思います。  さて、姫はこのかわいそうな状態から脱出して、幸せになれるのでしょうか・・。  そこで私が考えた処方箋を3つばかり紹介してみましょう。  まず第一には、「自分は弟橘姫シンドロームなんだ」と認識することですね。そうしますと、『水の中にいる』という比喩で説明できる症状が、実は自分が「愛する人のためにそうしていなかればならない」と思い込んでいて創り出している状態なんだということが理解できます。もしそのことが理解できて、「もうそうしていなくてもいいんだ」ということが心底思えるようになったら、きっと『水の中症候群』はウソのように全部消えてなくなるでしょう。だいたい水の中で自己犠牲している状態は、愛する人が望んでいることでもなんでもないことなのですから、一刻も早く止める必要があるのではないかと私は考えます。表面意識では「自分が創っている」ということがなかなか納得できないかもしれませんが、納得できた時に終わるのではないでしょうか。  第二には、情緒的に常に不安定という状態が考えられるのですが、このことに対する処方箋が実は、昨年の11月・12月に連載していました『自己愛シリーズ』なんですね。ぬいぐるみに語らせてふざけているのではないかと思われた方もいらっしゃるでしょうが、実はとてつもなく大真面目だったのでです。前回書きました弟橘姫のキャラクターの方ですが、こういう方は自分以外の『あなた』に突進してしまって、『自分自身を愛する』とか、『自分自身でいることにリラックスする』ということをするのがとても苦手であると思います。まず愛する『あなた』の評価に自己の幸福を左右させるのではなく、自分自身の中に幸福を見出して、その幸福感が花の香りとなってまわりの方々に届くような、そんな存在になれば、周囲の人たちにも自然に受け入れられるのではないかと感じるのです。そうでなければ受容と拒絶を繰り返されて、結局は入水自殺しなければ自己存在感がないという状態、古事記ストーリーの状態に陥ってしまいます。これは前回の文章を読んで、自分はそういうキャラクターなのだと、客観的に把握する必要があるのではないでしょうか。そのうえで自分を愛することがどういうことかを、難しいでしょうが考えていただきたいのです。それがタケル君のためになることでもあるのですから。  第三に霊的なことなのですが、これは一・二の自立の方向と打って変わって、「自分の分じゃない」と認識することを提案いたします。これ他の人に相談されますと、総合的な見地から『自分の責任を果たすように』って言われると思うのですが、弟橘姫が出ているときは特別なんじゃないでしょうか。そもそも『自分の分』じゃなくて、ヤマトタケルの分なのです。ヤマトタケルがやったことに対して、身代わりになって犠牲にならなければならいと、思ってしまうキャラクターが弟橘姫なのです。「そうしていることが幸せなこと」という観念が自分の心の奥底に強烈に存在しているので、それがやめられない環境と幽閉状態を創り出しているのです。これはある意味とてもいじらしいことなのですが、その状態をいつまでも続けていることは、弟橘姫にとってもヤマトタケルにとってもけっして幸せな状態ではないので、どこかで区切りを付けて、自己愛の方向に切り替える必要があると思います。  ということで、3つの処方箋を提示してみましたが、いかがだったでしょうか。これを全部理解するのには、すごい『理知性』と、タケルが望んでいることに対する『共感性』、それに『霊的な体力』が必要であると思いますが、難しいでしょうか。でも避けては通れないことであると、私は考えます。  もうひとつ総合的なお薬を出しておきましょうかね。  えーと、私がヤマトタケルの自己イメージをヘルメスと入れ替えようとしているのと同じように、弟橘姫を背負っている人は、ヘルメスの奥さんであります『アフロディーテ』のイメージと入れ替えると、一気に幸福感が強くなっていくと思うのです。これ『イメージ療法』ですね。  アフロディーテという人はある国の王女さまだったのですが、他の国のヘロデ王にその国が侵略され、ロードス島に幽閉・人質状態になってしまうのです。そこへクレタの王子ヘルメスが単身乗り込んで行って、幽閉状態のアフロディーテを救い出し、牛の頭をした悪辣なヘロデ王を討ち、ヘルメスとアフロディーテはクレタに戻り王と王妃になるのです。そこからさらに大発展の冒険ドラマが始まります。  確か幸福の科学出版からマンガ(『愛は風の如く』)が出ていると思いますので、興味のある方は入手して読んでみて下さい。なにしろ自己観貧乏イメージをぶっ壊すことが大事であると、タケル君が言っています。  最後にそのタケル君のお言葉・・ 「姫!・・弟橘姫よ・・    そんなところで何をしている!  それは俺のカルマだぞ・・。  早く水の底から上がって、私にまたあの笑顔を見せてはくれないか。  君の笑顔を見ることができた時、私は悲しみと罪悪感から開放され、  王としてこの大和の国を、すばらしい国へと導いてゆくことができるのだ。  この日の本の国民の幸福は、我等ふたりに懸かっている。  共に新しく、輝かしい未来を創造しようではないか・・。  またあのドラマの続きを・・、演じることにしよう。  幸せになってもいいんだということを・・・、  もうそろそろ信じてもいいのではないか??・・  岩戸開きの時は近い! 自己観貧乏をぶっ壊せ!!」                        byヤマト・タケル <あとがき>  内観してみてビックリしたんですがね、景行天皇に対するトラウマもさることながら、この弟橘姫に対するトラウマの方がはるかに強くて大きいですね。ヤマトタケルを背負っている人は、いつも弟橘姫を探しています。そのためすべての女性に弟橘姫を投影してしまってうまく愛せないという症状があるかもしれません。それに弟橘姫を死なしてしまったという罪悪感と自己処罰の念は尋常じゃありませんでした。こんな思いを抱えていたら、本当に死んでしまいます。そうして40年間も「幸せになっちゃいけないんだ。」と思っていたことに、愕然としたのです・・。自殺は罪です、暴力です・・。  でも、ヤマトタケルも美夜受(みやす)姫に対して、同じことをしたんじゃなかったですかね・・。たぶん美夜受姫のところに着いた時には、ヤマトタケルは死のうと思っていたのではないか・・、そう思うと彼女との関係も、新しく構築しなおさなければいけないでしょうか・・、どうしましょう。。
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私もヤマトタケルさんがミヤズ姫さんのところに着いた時には死を覚悟してたと思います。熱田神宮に行く道でそう感じていました。ミヤズ姫さんはとても後悔したんだと思います。なぜ、神剣をくいさがっても持って行って頂かなかったのか。死ぬまで後悔されたのではないかしら。そして、タケルさんの心が自分にはないということを、生涯を通して味わっていかれたんだと思います。でも、少し明るさを感じるんです。ミヤズ姫さんはヤマトタケルさんという人間の生き方を、選択を認めたんだと思います。そこまで行くには気の狂いそうな孤独と闘いながら越えられたのではないでしょうか。妻の立場でありながら責任を負いながら、亡き夫の心は自分にはなかったのですから。でも、ヤマトタケルさんは、自分の父親に疎ましく扱われ、寂しさの中で、自分の命と引き換えに散っていった人の存在(愛してくれた存在)にどんなに心慰められた事でしょう。人は公の立場とそうでない立場があると思うのですが、神剣を残して行かれた時点で、公のヤマトタケルさんは終わったのではないでしょうか。孤独に負けず行く道は簡単ではないですね。だらだらとすみません。私個人の推察です。

あー、なるほど~、、ありがとうございます。
私の感覚ですと、往き道で希望に満ちて日本の将来を語っていたヤマトタケルが、帰り道では見る影もなく、変わり果てた姿で帰ってきた、しかもおっしゃるように、タケルの心の中に美夜受姫はいない・・・。
これは美夜受姫にとって、とてつもなくショッキングな出来事だったであろうと思います。でも美夜受姫には、弟橘姫に無い『理知性』と『共感性』がありすぎた・・・。静かにうなずいて、剣を受け取り行かせてしまった・・・。この行為にも、後々後悔してゆくんだと思います。
うーん、私の中のヤマトタケルは、
「どうして行かせてしまったんだ!」
と言っています。引き止めて欲しかったんです。
心が美夜受姫に向いて、希望が蘇るまで、監禁してでも行かせてはならなかったのではないかと。そうしないと美夜受姫を背負った人は、生まれながらにして『行かせてしまった罪悪感』を背負って生きることとなってしまうのではないでしょうか。
だから『美夜受姫シンドローム』の特徴は、『理解しすぎ』というところにあると、今感じています。
まゆりんさんとちょっと違うかな。

ミヤズ姫さんは、激しい愛憎の世界から卒業されておられると思います。変な表現ですみません。縛る愛から放つ愛の世界の方になられておられると感じます。相当な葛藤は当然おありだったと思います。今はタケルさんがどの道を選ばれようと、お幸せになって頂きたいと思われているように感じます。また、タケルさんを愛したご自分のことも誇りに思っておられる。男女の愛を越えて、宇宙を感動させるような愛の世界に向いておられる感じなんですけど、私個人の推察です。頭がちぎれてまいりました。

うーん、確かに今はそうですね。
とても気高い孤高の人という感じです。
でも私が問題にしているのは、『その地点』を引きずっている自己観貧乏です。私のほうにまだあるということですね、これを整理すべきかと。あくまでも私の問題なのでしょうか。
ところでまゆりんさんは、美夜受姫でもない感じですかね。
どなたなのでしょう。
たぶん弟橘姫より前の、最初のころの奥さんでしたか。
うーん。。
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シュバン

Author:シュバン
ミクシィで『ひふみ神示』コミュの管理人をしています。人間に見えるけど、猫です。

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