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2005-11-24

ワルの美学

街の夕日 【インディアン・ランナー】という映画を観たんですよ・・。先輩がね、「俺の魂の映画だ、観てくれ~。」とおっしゃるもので・・。いろいろ考えることがありましたので、感想リポートを書いてみましょう。
 その映画は、ハリウッドの反逆児と言われる【ショーン・ペン】監督作品で、2人の男兄弟の物語を描いています。兄のジョーは夢と家庭を持って農場経営に乗り出すのですが、盗賊か何かに出会ってしまって農場を手放すことに。そしてハイウェイ・パトロールマンになりますが、正当防衛から逃亡者を殺して、その親に恨まれてしまって、ついていない人生・・。弟のフランクは、どうしようもないワルで、厄介払いのようにベトナム戦争に行きましたが、帰ってきても風来坊・・。風の噂で刑務所に服役しているという。出所をきっかけに兄が「一緒に暮らさないか」と持ちかけるが拒絶。でも恋人のドロシィが妊娠したのをきっかけに、兄の家のそばで暮らし、結婚してがむしゃらに働く・・。しかし・・、心の中には生来のアウト・ロー魂が・・・。  そういうストーリーなのですが、一番印象に残った言葉があったのですね。  ジョーがフランクを説得に行ったときに、フランクが言った言葉です。  「世の中には2種類の人間しかいない。   ヒーローとアウト・ローだ・・。」  兄がヒーロータイプで、フランクがアウト・ロータイプだということを言いたかったのだと思いますが、「それだけだろうか」と、感じました。西洋人はどうしてこうも白と黒にはっきり分けたがるのでしょうかと感じます。まぁ、ジェームス・ディーンの映画とか、イージー・ライダーとか、同じようなテーマを扱っていると思うのですが、対立の構図というのがとてもわかりやすいんですね。とてもハッキリしています。しかし私が今の感覚で思うのは、「白でも黒でもない、灰色でもない第三の種類の人間がいる」ということなんです。それは【神人合一キャラ】と言ってもいいと思いますが、善悪だの白黒だの、男女だの、色々な二元性を超越して底に突き抜けた和合キャラですね、そういう種類の人がいて、そうなって初めてヒト(霊止)なんだということを探求しているのです。だからこの映画のように対立・葛藤・抗争のような世界が人生全般に展開されていくような生き方とは、ちょっと距離のあるポジションになってしまった。そういう感じですね、第一印象は・・。  でもこの抗争劇は、内面的な世界にまだあるんですね。私は基本的にアウト・ローが好きなんです。なんでかって考えましたらね、カルマ探求をして出てきた陽性キャラの人たちが、みんなアウト・ローなんです。ヤマトタケルも、日本書紀に描かれているイメージは違うのですが、古事記ではハッキリ言って【ワル】ですね。双子の兄を素手で殺して、そのあまりの粗暴さを父親に疎んじられて、「戦争でも行ってこい」と厄介払い。帰ってきて恋人と子供ができたのに、またしても厄介払いで東国へ・・。こういうの内面的に感じていますとね、【アウト・ローの哀しみ】みたいなものを体験してしまうのですよ。これが主人公のフランクの生き様とシンクロしますかね・・・。  平将門公も、言うまでもなく【ワル】ですね。【世界一優しいワル】と言ってもいいでしょうか。そういう感じなのですが、新田義貞公は、ワルとまでは言えなくとも【反逆児】ですね、そういうのを感じます。義貞公を探求していた時は、私【レブル(反逆)】という名前のバイクに乗っていたんですね。彼はあれですよ、ハウンド・ドッグの【フォルテシモ】という歌がよく似合う感じ。「今更失うものなど何もない!、愛がすべてさ!」みたいな情熱がある方なのです。とても愛が深いのですが、上手に生きられない・・。  あ、そう言えばここで告白してしまいますがね、私、去年女性関係で【ワル】してたんですね。それ今思えばヤマトタケルの追体験なんですけど、その体験から弟橘姫シンドロームとか、自己愛シリーズの記事ができあがっているのですね。タケル君も女性に対しては世界一優しいところがあるのですが、怒ったときはとてつもなく暴力的になったりします。フランクと似ているワルキャラなんですね。それで弟橘姫も混乱してしまったのだろうと思うのですが、ゴメンナサイm(__)m。。反省しておりますぅ。。ワルを代表しての、公開懺悔・・。  で、このワルキャラ三人衆には、対比されるように【いい子ちゃん】がいるのです。権威に受け入れられ、かわいがられるタイプの善人です。ヤマトタケルの場合は、兄のオオウスノミコトがそうだったのかもしれません。将門公の場合は、従兄弟の平貞盛公がそういう役割で、新田義貞公の場合は、同じ源氏の足利尊氏公ですね、必ずそういうタイプの人とセットになっているのです。これを考えてみますとなんのことはない、日本でも白黒の対立は連綿と続いていたのですね。この白黒対立というのは、今までは歴史の中におけるダイナミズムみたいになっておりまして、人生舞台劇の中心的構造だったのですが、もう終わりですかね、アセンションの時代にこんなことをやっている場合ではないと、今は思います。すべてが統合・調和のハタラキに向かってゆかねばと考えます。    ということで、私の中には【ワル】がたくさん住んでいるのですが、これ基本的にすごく恐いんです。私の肉体人生と言いましょうか、表面意識では、基本人格が【いい子ちゃん】タイプなので、自分の中にワルがいるということが許せないんですね。とてつもない恐怖と拒絶感があります。これは今年の初めに将門公が出てきてしまってから、もう諦めて開き直るしかないと思ったのですが、それでもまだまだありますね、恐怖と拒絶の心が・・。  この【恐怖と拒絶】は、前回の記事のテーマに関係するのですが、真月さまがおっしゃった【蛇】かもしれないんですね。これがあるために、自分が全統一的な人格になれない。ヒトになっていない。私得意の【内観】をしておりますとね、そう感じるのですよ。  それに【四十肩】もそうかもしれませんね。四十肩ってだいたい左肩が痛くなるらしいのですが、真月さまによりますと、体の左半分が【火の座】で、【否定エネルギー】がそちらに溜まっているということですね。この否定エネルギーが【否定の言霊】となって、自分の内なる天照を岩戸に閉じ込めているということだそうです。そこを突破するのは並大抵のことではないとおっしゃっていますが、どうなのでしょか、できるのでしょうか。ただ今奮闘中・・。そう言えば荷物が乗っかったのも左足で、未だに痛い・・、完全に曲がらなくなってしまった・・、うぅぅ。。  今回の映画は、このような考察をしてみました。いかがでありましたでしょうか。  表面意識と潜在意識との間にギャップがあり、しかもカルマ的な問題もあるのです。  はっちゃんは果たして、統合失調症を克服することができるのでしょうか・・・  「アーマテラスをナメんじゃねぇぞ! コノヤロー (-_-☆ 」  それがこえぇって言ってんじゃねぇかよ、モ~~!!! <あとがき> 真月さまのご神示です。 ――――――――――――――――――――――  言葉によって岩戸がかけられている。言葉はすなわち、神であると共に岩戸でもある。言霊と言われる所以である。否定の言葉が岩戸となっている。否定の言葉を受け入れたときから岩戸となる。否定の言葉を発するのは、岩戸が掛かっている証拠だ。この言葉を外すのは並大抵のことではない。それほど奥に岩戸はかけられている。内なる神はその奥にいる。  平成十七年九月七日 ―――――――――――――――――――――― http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2116459&comm_id=318149
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