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2006-01-03

愛の体現者

【愛を体現すること】 これほど困難なことがあるでしょうか・・。
神が愛であるのならば、愛を生きるということは、すなわち「私は神である」と、その存在の響きで示すことなのであります。しかし私共には、肉体を持った人間が、「私は神である」と言っているのを「面白くない」と、「そんな傲慢なことを言ってはいけない」と、【否定】する気持ちがあるのではないでしょうか。 「私を見たものは、天の父を見たのである。  我が為すわざを見て、神が愛であることを知りなさい。」 イエスさまは言われました。(聖書どおりじゃないかも) この言葉は、受け取る側にとっては脅威なのであります。その存在を【神】として認めるか、それとも【否定】する側に回るのか、どちらか一方を選択するようにと、【剣】を突きつけられてしまうからです。その一方で、愛の体現者にとっても、この【剣】を突きつけてしまうことは、とてもつらいことなのです。 「あなた方は見ても見えない、聞いても聞えない。  神は愛であると、これほどまでに言っているというのに・・」 この苦悩と孤独を、自分の体験として受け取ったかたがいらっしゃるでしょうか。 体現者としての人生を、トラウマとして内観したことがあるでしょうか・・。 ただ「愛したい」と思っているだけなのに、なぜ軋轢を作ってしまうのだろう。 どうして目の仇にされてしまうのだろう・・・。 その哀しみの底まで理解し、共感できる人がどれほどいるのでありましょうか・・。 【愛を体現すること】 これほど困難なことは無いのであります。 しかし、それをやってしまった男がいる・・。 「神は九九(ココ)に有り」 あまりに神を愛するがゆえに、 それを体現しようとしてしまった、 不器用な男がいたのである・・。 その男の名は、相馬小次郎・・ 世間じゃ平将門とか、言われていたらしい・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  はい、えーと、以前からイエス・キリストが伝えたかった【愛】っていうのは、受け取るのも伝えるのも大変困難なことなんだという感覚がありました。それが真月さんのご神示で「しかして取り出す者は少ない」と言われているのを読んで、思い起こしたわけであります。それから将門公の生涯が走馬灯のように浮かんできたのですが、この将門公こそが純粋に、かつ朴訥(ぼくとつ)に【愛】というものを体現して生きようとしたのではないかという思いに突き当たったわけなのであります。この将門公がイエス・キリストにもシンクロする【愛】の体現者なんだっていうことは、はっちゃんが紹介しなければ誰も言わなかったことでしょう?見ても見えない、聞いても聞えないんですよ・・。  それほどまでに【愛】というのは、厳しくかつ崇高なものなのです・・  で、この文章を真月さんのコミュに書きましたら、お返事を頂きましたので、紹介させていただきましょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー はっちゃんさん。 メッセージありがとうございました! そうですね。多くの人たちは、自分と神を分離してしまっている。その結果、神を遠くに追いやって、近づきがたい存在となってしまいました。 これは自らが内なる神を否定していることでもあります。つまり自己否定とは自己の内にある神を否定することの他何者でもありません。 そして神示では、神武天皇が何故、神であることを言わなかったのかが物語りとして述べられています。 肉体を見て、人は神を見ることが出来ないのか。これは自分=肉体であると錯覚しているからです。そして基本的な錯覚がここに存在します。そのため肉体は神の入れ物であり、霊がこの肉体を重なっていることを忘れています。 ちょうど車と運転手の関係です。車が肉体であり、運転手が霊体です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  ありがとうございますm(__)m なんて説明が上手な方なのでしょうかね。  【内なる神】に出会うのと、イエス・キリストに出会うのとは【同時】というような気がいたします。【内なる神(御魂)】を否定している人は、イエス・キリストを【否定】します。それが【蛇(邪)】なる心、内なる【オロチ(愚知)】なんじゃないでしょうかね。イエス・キリストは、「あなたの御魂に出会いたい」と思っているだけなのですよ~。【あやま知】の衣でそれが【愛】だと、自分の【御魂の声】なんだということが、わからなくなってしまっていたのですね。将門が鬼に見ゆるは、見る人側の責任ということになります。あなたには、何に見えますか~??  ではまた。。m(__)m <あとがき>  えーとですね、12月に入る前あたりから、はっちゃん実は素戔嗚尊モードに突入しているんですね。それで真月さんのところで天照さまが出てきたときにカキコしたら、真月さんの天照意識と私の素戔嗚尊意識がぶつかり合って、ガチンコ勝負みたいになってしまいました。これ古事記の誓約(うけい)の追体験なんですね。カルマ背負いモード突入なんです。それで結構【スサノオ暴るるの巻】をやっていたわけでありますが、ここへ来てスサノオ殿も、髭を剃り、爪を切り、たくさん貢物をして、収束モードに入ってきたのでありましょうか。そろそろですかね、本来の天命、地のご守護に入る時が来るのは・・。どうなってゆくのでしょう、お楽しみに~。。  あ、そう言えば【損得勘定】の記事は、実は素戔嗚尊意識です。なぜか関西弁~みたいな。。
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はっちゃん、あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします♪
キリストさんと平将門さんがつながるなんて、
おもしろいなぁ~
はっちゃんのブログはほんとに興味深く読ませてもらってます~
>【内なる神】に出会うのと、イエス・キリストに出会うのとは【同時】というような気がいたします
ほんとだ~
でも、私、そうなるまで先長そ~(^^;)
とか言ってること自体が、先の長さを示してる(笑う)

あ、どうもいっちゃん!
明けましておめでとうございます。m(__)m
私の中では将門公とイエス・キリストは前から繋がっていたのですね。だから以前【地の神】は何か感じるかと聞いたのですが。
今回のこの文章は、イエス・キリストが直々に将門公を弁護したという設定でしょうか。はっちゃんの中ではそうなのですが、あんまりそういうことを言い切るとおかしくなったと思われるので、言いません。(言ってんじゃん!)
イエス・キリストに出会うにはコツがあると思います。
【自分の内側】に向かうことです。
外の好きな人が、たとえイエスさまみたいでも、直進しててはなかなかね。くるっと内側を向いてみてください。そこにイエスさまは居ます。同時に外のイエスさまも、向こうから会いに来てくれたりします。
そうは言っても難しいかにゃぁ??
「求めよ、さらば与えられん!
 叩け!さらば開かれん!」
内側です、叩くのは・・・

 僕は、いわゆる霊能者です。神様と交信した内容を、おしえます。
 神「日月神示は、もう、古いのじゃ。その時代に合わない予言は、もはや、意味が無い。日本が、すめなくなり、全員外国に逃げるほどのことは、おこらない。」。

> 僕は、いわゆる霊能者です。
面白い言い方をされる人ですね(^.^)
「だから私の言っていることは絶対に正しい!!」
そういう響きを感じます。
そのポジションは【不調和】の元です。
それが地震の原因なのだと、私は感じます。
「お前が地震の原因じゃと、申しておろうがな。」
私の神様からのプレゼントを差し上げます。m(__)m
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シュバン

Author:シュバン
ミクシィで『ひふみ神示』コミュの管理人をしています。人間に見えるけど、猫です。

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