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2006-02-04

マジギレ聖徳太子

 前回は、「神の調和ハタラキが恐く見える」というお話しをしたのですけど、これを考えている時に聖徳太子を連想したのですね。【和をもって尊しとなすべし】というお言葉です。この【和】というものが、人々が普通に考えているものとは全然違うのではないかと思っているときに、聖徳太子の伝説エピソードの意味が解読できたような気がしましたので、書いてみましょう。
以下はミクシィコミュニティー【真日本再生】に投稿した文章です。 丁度読んでいる本に【調和】のことが書いてありましたので、引用から・・・ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=4210225&comment_count=3&comm_id=315920 ***************************************************************  調和を乱して居る者が、調和を乱す者を裁いてもただの戯れ言でござるぞ。調和を乱すと申しても、そなたらの思って居る調和とは違うぞ。そなたらは、調和を乱した今の世で、恐れや弱みをつっつき合って、脅し合って、コントロールし合って、制限し合って、自らだけが安定しようと、自分だけ善しで人を脅し、人の気持ちを考えると申して自分を殺して意見を言わず、人のわがままに合わせて混乱を避けた積もりになって、善悪の世界だけの表向きの調和や平和を創り出して居るだけでござるぞ。人を説得するのも、人の説得を受け入れるのも、コントロールゲームでござる。脅す方も脅される方も同じゲームをして居るだけぞ。我善しの、調和を乱した世をますます進めるだけでござるぞ。お互い様でござる。自業自得でござる。どっちが悪いかと申すなら、両方悪いのでござる。お互いに自ら自身のせいでござるから、今の世でも責任転嫁や争いがあるのはオカシキことでござるのぞ。自らの真釣り外しをしらん者ばかりであるから、今の乱れた世と成ったのぞ。自分勝手な者の気持ちを考えて、自らの正直な気持ちを言わぬなら、自分勝手の世を許すことになるぞ。 長谷章宏著『真のヒトになるための生き方(上)』P96・97 *************************************************************** 表向きの調和が、本当は不調和の型示しだということです。 真の調和を生きるマコトの存在は、【物言うヒト】でなければならない。 誰かを説得しようとするのではなく、負かしてやろうというのでもなく、 ただただ「これが正しい!」とハラを括って表明するのが、マコトのヒトである。 その表明において、自己保身の思いは微塵(みじん)も無い・・。 歴史に学んでみよう・・。 聖徳太子の時代は、豪族同士の争いが、熾烈を極めていた・・・。 我善しの氏族保存のためなら手段を選ばず、血で血を洗う仁義無き戦い・・、 挙句の果てにはその霊力をもってして、呪詛合戦などということまで起こっていた・・。 まさに地獄絵図である・・。 己の神を死に神とし、我善しのための都合よき手段とする氏族・・。 仏という尊き存在を死に仏とし、強欲の隠蓑にする氏族・・。 どちらも同じ穴のムジナの共食い合戦、膠着状態・・・。 その仁義無き戦いの間に、割って入ったマコトもんがいた。 そう、それが聖徳太子である・・・。 ちょうどその頃、神の調和のハタラキである疫病が蔓延していた。 人々の心の中の不調和が現出し、表面化していたのだ・・。 神の名を利用している氏族は、それを【神の崇り】と判定した。 しかしマコトもんは何のためらいも無く言い放った・・。 「疫病の原因はカルマです!!  人々の心と魂に溜まった不調和が原因なのです!!」 念で人を殺せる大軍団に対して、ひとり言い放つマジギレの狂気・・。 「これだけは絶対に譲れない!!  神が崇りを起こすことは無いのだ!  悪いことが起こるとしたら人間側の責任だ!  自己責任をもってして、カルマ(メグリ)のケリを付けるが人の道ぞ!!」 そのための最も合理的な手段が、当時の最新意識科学である【仏教】であった。 なんでもよかったのである。三宝帰依を第二義とした聖徳太子は、 本当の仏教徒というわけではない・・・。ただのマコトもんなのである。 「和をもって尊しとなすべし!!」 人の顔色を伺い、不調和をそのままに、推し進めるが【和】ではない! ハラに剣が立ったのであるならば、言いたいことを申してみよ! 狂ったと思われてもマジギレしてみよ! それが真の調和ハタラキなるぞ! 日本男児よ、誇りを持て! 真の和に仕え、命を懸けよ! 保身の思いが自らの首を締めていることに、まだ気付かないのか! この日ノ本の国の運命は、お前のハラにかかっておるのぞ――! 「命を得ようとする者は それを失い    私(誠)のために命を捨てる者は それを得る」                       byイエス・キリスト ――――――――――――――――――――――――――――――――――  いかがなものでありましょうか・・・。  この荒魂チックな聖徳太子ね、私は去年から感じております。が、あまりにも迫力がありすぎて書けなかったんですね。その迫力たるや、将門公の比ではないという感じもいたします。今回私自身の体験も追いついてきたことですし、こういう内容を発表できるコミュニティーを用意してくださっている方もいらっしゃるということで、日本人の集合無意識みたいなところに投げかけてみたいと思います。 最後に、コミュニティー主催者、真示さんのお言葉を・・・ *************************************************************** 「形だけの調和」は、いずれ破綻します。 既に個人レベルでも「膿出し」は始まっていますね。 「乱れた世」で真コトを通せば、少なからず「波風」が起きます。 「ナギの世(一見、凪に見える乱れた世)」で、真コトを通せば「ナミ風」が立ちます。 ナギ、ナミ・・・わざとカタカナで書きました。 もうお分かりと思いますが、ナギ・ナミはイザナギ・イザナミの意味です。 イザナギ様は地上世界。 イザナミ様は黄泉の国。 その間には「岩戸」。 裏と表が一つになる = 岩戸開き = ナギ・ナミの再会 「地上の国(現界)」と「黄泉の国(霊界)」が一つになる。 (この場合、「霊界」と「幽界」は別にして下さい。「幽界」は消えてなくなります) *************************************************************** 関連記事:地震の原因 <あとがき>  いよいよ日ノ本の天命、果たす時来たれりか・・・  はっちゃんのマジギレ癖は、この辺から来ているのでしょうかね・・・  次回は【和魂(にぎたま)】ちっくな聖徳太子をご紹介いたしましょうか。  私はこれで、去年何度も泣きました・・・  お楽しみに・・・。
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こんにちは。書きこみは初めてです。
聖徳太子って柔のイメージがあるけど、実は剛もあったりするのかも・・・。(柔だけでも剛だけでもなく、両方合わせ持っている)
なんか納得してます。
以前見たドラマの聖徳太子は、そういえばそんな感じでした。いい具合にマジギレしてました^^

あ、どうもカイリさん。
初めてのカキコありがとう(^。^)
次の太子は【柔】の方だと思いますぅ。
こよなく歴史を愛する聖徳太子。
どうぞ、お楽しみに~。。
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シュバン

Author:シュバン
ミクシィで『ひふみ神示』コミュの管理人をしています。人間に見えるけど、猫です。

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