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2007-03-18

先祖供養

お彼岸ですね (=^ェ^=) 今回は先祖供養を特集してみましょう。 ひふみ神示的に云う『ご先祖様』とは、いかなる存在なのでしょうか。冬の巻を一部抜粋して、考察してみることに致しましょう・・・
<一切が喜び> *******************************************************  そなたたちは神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟な事ぞ。死後に於ても、現実界に自分がある。それは丁度、生きてゐる時も半分は霊界で生活しているのと同じであるぞ。自分の衣は自分の外側であるぞ。自分を霊とすると、衣は体、衣着た自分を霊とすれば家は体、家にある自分を霊とすれば、土地は体であるぞ。更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん。   自分のみの自分はないぞ。縦には神とのつながり切れんぞ。限りなき霊とのつながり切れんぞ。故に、神は自分であるぞ。一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。   霊界に於ける自分は、特に先祖との交流、交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみの肉体ではないぞ。先祖霊との交渉深いぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。正流にぞくする祖先は正守護神の一柱であり、外流に加わるものは、副守護神の一柱と現れてくるのであるぞ。外流の中には、動植物霊も交わってくることあるぞ。それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。   一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せねばならんぞ。霊は常に体を求め体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致がよろこびの根本であるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。霊には霊の霊が感応する。又高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。   二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな。霊が元と申してくどう知らしてあろうが、人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。自分は自分ひとりではなく、タテにヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。   調和を乱すが悪ぞ。人間のみならず、総じて偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五、体も五と申してあらう。ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。神は主であり、人間は従であるぞ。五と五と同じであると申してあろう。差別則平等と申してあろう。取り違い禁物ぞ。  冬の巻 第01帖 (770) ******************************************************* いかがでありましょうか。 > 一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。 このコトを皆さんは、自分のコトとして感じることができるでしょうか。 私は【カルマ探求】ということをしてきたので、ご先祖様や神々様が「自分の中にいる」という感覚を知っています。しかし「一切がよろこび」という状態ではありません。自分の中に感じられるくらいに出てきたときは、最初【苦しみ】とか【恐怖】とかのネガティブな感情で出てきます。苦しいのでなんとか穏やかな状態にするために、浄化の祈りやら呼吸法やら、日常生活での修行やら、色々なことをしてきました。それでひとつひとつを【よろこび】にまつり変えていったときに、「一切が」と言い切れるのではないかと感じています。まだその途中です・・・ 私たちが日常で体験している【現実】というものは、実はこの無限に広がる【内なる自分】の想念からできています。日常で出会う人々、やっている仕事、住んでいる土地、体験している総ての総てが、この【内なる自分】でできています。ゆえに、体験していることが『苦しい』と感じるのであるならば、現実を創っているところの内なる想念をなんとかせねばならんのです。 しかし私たち一般人が九分九厘やっていることは逆様です。苦しいのは何でも外側にいる人や環境のせいにして、外を変え、外の方法に頼ることをしています。しかしそれでは問題の解決にはなりません。表面的に解決したように見えても、次の瞬間には更に大きな問題として自分に迫ってくることを感じることになるでしょう。なぜなら、【原因】まで浄化していないからです。【原因】が変わらなければ、迫り来るものは何も変わらないのです。ひふみ神示を読んでらっしゃる方は、このことをよくよくハラに納めねばなりません。 【苦】を、【問題】を、現実体験として感じているのであるならば、その原因であるところの【内なる自分】に意識を向けましょう。内なる自分が『三千年にわたるメグリ』によって、不調和創りなしたことによって、苦しみとして今、顕われ来たっているのです。だとしたらそれを調和にまつり変え、浄化してゆかねばならんのではないでしょうか。外側のせいにして外を変えようとしてもダメです。外の人に先祖供養を代行してもらおうとしてもダメです。ご先祖様が【自分】であるのならば、自分で責任を取ることでしか、問題は解決しないのです。 先祖供養というものは、お彼岸とか特別なときにするだけのコトではないと思います。自分の体験している現実が『よろこび』で満たされたいと思うのであるならば、その原因であるところの、主であるところの、【霊】の世界を浄化して、【悪】があるのであれば、排除するのではなく、愛の想いで抱き参らせていくことによって、一切がよろこびという現実体験として、環境として、感じることができるはずなのではないでしょうか。 ひふみ神示を【読む】というコトは、そういうことではないかと 私は思うのですが、皆さん方はいかがなものでありましょうか。 よろこび弥栄ましませ <(_ _)> <祈らら>  ちなみに私が以前学ばせていただいた【祈らら(キララ)】というまどいでは、上記の『内なる自己』を4段階に分け、段階的かつ系統的に浄化する道、祈り修法として、主宰の紫野ひかり先生が指導されています。「自分でやる」セルフクリーニングの道であり、現在は【霊(ひ)の祈り】と云われています。地縁・先祖縁・過去世縁・神縁・・・自分で受け止められる分だけマイペースでできるようです。仏壇や神棚、神社仏閣等、いわゆる『外の目当て』を使う修法ですが、そのように外との関わりから内なる自己を知ってゆく道が向いてそうだという方、お出かけにワクワクする方にはお勧めです。 http://www.murasakino.net/ 私の場合はブログ記事にも一部書いてありますが、かなり自己流で段階を経ない道を歩んでしまいましたので、ちょっと違います。ま、それもドラマチックで面白いとは思いまするが・・・(^^ゞ
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ミクシィで『ひふみ神示』コミュの管理人をしています。人間に見えるけど、猫です。

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